どう考えても上手くならない日本人の英語への薬

頭脳の発達において不可欠な小中高大学時代に『読み書き受験英語』しか勉強していない日本人にとって、心地良い発音でのスムーズな英会話なんてできるはずないという結論に至りました。もしできるとしても、前提として日本生まれに本育ちのバックグラウンドであればまず自分は"ゼロ"と認識し、そこから這い上がり何とか食らいつくというアプローチしか取れないと思います。本当にネイティブライクに話したければ1日30分のSkype英会話とか毎週の駅前英会話じゃ、レベルゼロのまま背伸びするようなものなので無理です。できないながらも要所を押さえる、というのがポイントです。でもって、それならそれで戦い方はあると思うわけです。

昨今海外留学しないとダメだと言う方々が多いのですが、そりゃその通りだとも思うんだけども、純粋なドメスティックな環境でも世界と戦える価値を生み出せる人は生み出せるわけで、何でかって言うと英語なんてただモノを伝えるためのツールに過ぎないわけです。確かに伝え方を磨いて洗練させるのは非常に大事だけれども、肝心なのは伝えるモノ。人間馬鹿じゃないんで、向こうの人たちも目を見てきちんと話されたら「うんうん」と言わざるを得ません。あと、分からないことはきちんと分からないと言えば彼ら説明してくれます。本気で100%伝えたかったらネイティブの通訳を随伴させれば良し。僕はそんなお金無いので、分からないなら分からないなりに自分で調べて喋ってみたり直接尋ねてみたり、とりあえずここだけ伝えられれば良いやという線引きをしてから話をします。

ただその何かを作る時に日本の競合とかだけを見てるようじゃあきませんというわけです。英語というコミュニケーションツールを超えるだけの価値を作り出すには、もはや日本国内だけを見てれば良い状態なんてとっくの昔に過ぎ去ってますし、海外発情報をいかに迅速かつ丁寧に振り分け意図を理解できるか、少なくとも英語のリソースを見て分析するために英語の読みってのは大事なわけです。つまり日本のモノづくりが低調気味なのは、決して日本の技術が衰えているからという理由だけが問題なのではなく、今までの日本製品No.1神話にすがり続けているわけではないにしろ、日本を見続けてきて成長している英米諸国の成長度や今までとの違いを実感として測りきれていない・比較分析しきれていないのが原因の1つではないかと僕は見ています。そもそも世界で勝つことを考えている英米諸国とは端からスタンスが違うのですが。あと、Lost in Translation、下手にメディアが単に文法的に翻訳した海外市場関連報道やニュースに情報収集を依存して、文脈的理解が及ばず届けようとしていた真意が歪曲されたままそれをフィルタリングせず取り込んでしまう傾向にあるのも1つかと。

と、いうわけで、人間でも情報でも何でも良いので常に"英語"の中に身を置くことが必要で、昨今の子供手当やら何やら行うお金があれば、小中高大学の英語の先生を全員ネイティブスピーカーに総入れ替えしたり、一定数の海外出身者を雇用する教育機関限定のAffirmative Actionを認可したり、他教科の教科書を英語化させたり、そのぐらいのラディカルな施策もあって良いのではと思う今日この頃でした。

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